第八章 戦場の子どもたち

《解説》戦場の子どもたち

缶詰めがおいしい!墓の中に置き去りにされていたところを保護された幼い弟妹(4月23日)

傷ついたマスコット!!傷の手当てを受けたあと、
米海兵隊員の手からキャンディを口にする。(6月 糸満)

誰に教わったのだろうか。
木の枝に白い布切れを結びつけガマ(壕)から出て来た少女。(6月25日)


壊れかけた籠のの上で米軍が与えた缶詰めをかかえている幼児。
ひどい栄養失調で、果して生き存えることができたどろうか…(6月 那覇近郊)

家族はどこに?戦場で傷つき、一人ぼっちになった少女(5月10日)

ドンブリから水を飲むハダカの坊や。頭から足の先までむくんでいる。(6月)

泣き続け、泣き続け、泣き疲れた少女。首里の前線近くの壕から保護された。

集団自決の現場から奇跡的に生き延びた渡嘉敷島の少女。
首に巻いた包帯がいたいたしい(3月29日 渡嘉敷島)

砲弾の破片で砕かれた左手指の治療を受ける少年。(6月21日)

砲弾の破片を浴びた少女が、治療を受けている。(6月21日)

浦添の城間付近で保護された幼い姉妹。
老人の二人を見る眼も、悲しみにくもっているようである。(4月24日)

治療を受ける病気の赤ん坊と母親(4月16日)。

米衛生兵の診察を受ける少女。少年と母親が順番を待っている。

戦場を一人ぼっちでとぼとぼと。やっと水をもらえた少女(6月)。

前線からわずか50メートルしか離れていない亀甲墓の入り口で柳行李の中に座ったまま奇跡的に助かった幼い姉妹(4月23日)。

多くの命が失われていく戦場で、新しい生命も誕生する。
収容所で生まれたばかりの幼児に着物を着せている母親。

一日前に生まれたばかりの赤ちゃんをだっこする米軍医(キャンプ屋富祖)。

畑の溝の中に身をひそめ運よく助かった家族(6月20日 本島南部)。

弟をおんぶして戦場をさまよう幼いお姉ちゃん。

首里近くの壕から奇跡的に生き残った幼い三姉妹。安全地帯はもうすぐ
(6月10日)。


籠や鍋を天びん棒でかついで収容所に向かう少年(4月26日 本島北部)

竹棒を肩に前の籠には食糧品だろうか、後にはニワトリ、弟は自分たちの衣類などを肩に担いでー。さぁ、親、兄弟、友だちがいる収容所へ!!(6月7日 平敷)

壕の近くで保護された女の子。Cレーションを手に、まだあどけないカンプー姿。

左手首を散弾で吹きとばされて座りこむ少年。
後方の父親(?)もただ茫然と立ちつくすのみ(6月21日)

傷の治療を受ける少女と、見守る兄弟(5月18日 田井等)。

先生と子どもたち。

重傷を負った少年(6月21日・少女の扮装で避難していた)。

《証言》悪夢の避難行  大西正子

第九章 戦場の住民

《解説》戦場の住民

収容所に向かう住民。山羊を連れた老人、
持てるだけの所持品を頭の上に乗せた女性、天びん棒を担いだ男性、みな必死である(5月)。

住民は米軍政府指定の収容所に集められた。トラックから幼児を降ろす米海兵隊員(4月16日)

わずかばかりの必需品を毛布やカマスに包み、頭の上に乗せて安全地帯へ向かう女性たち
(4月11日)

モッコや戸板の上に持てるだけの荷物を乗せて、収容所に向かう住民たち(6月8日 勝連半島)

長い間の厳しい壕生活から開放されて、収容所に向かう老婆と子どもたち(4月 伊江島)

住民の多くは、祖先が眠る墓に隠れた。米軍の機銃掃射で、墓に隠れていた住民が犠牲となった。墓の石壁にうがたれた弾痕が生々しい。

沖縄独特の墓・亀甲墓は、住民にとっての恰好の避難場所であった。
墓の中に隠れている人びとに投降を呼びかける米兵(5月)。

前線で保護された老人を安全地帯に連れて行く米海兵隊員。

米軍監視下で安全な場所へ移動する地元の住民たち。えんえんと避難の列がつづく。

米兵の誘導で安全地帯へ向かう老女と子どもたち(4月2日)。

米軍が上陸したその日に保護された住民たち。
真ん中の老夫婦はしっかりと手を握り合っている(4月1日)

大きな荷物を頭に乗せ、米軍の指示で収容所に向かう住民たち。
中央のモッコには病人が乗っている(4月2日)。

持てるだけの荷物を天びん棒で担いで収容所へ…。

投降の呼びかけで壕から出、一か所に集められて指示を待つ住民たち(6月12日)。

でっかい桶を頭の上に乗せて!!
中身は食糧品だろうか?軍政が布かれた古里に戻る住民たち(6月8日 勝連半島)

逃げ場を失って米軍に救出され、指定地区に向かう。
ほとんどが女性、老人、子どもたち(本島南部)。

米軍兵士の手を借りて、破壊された橋を渡り収容所へ向かう住民たち。
わずかばかりの所持品を柳行李や毛布に詰めて頭の上に乗せている人たちも(4月2日)

訊問を受けたあと、軍政下の古里に移動する住民たち(4月15日)

激戦の南部で生きのびた住民たち(6月12日 玉城村)

米軍の衛生兵に傷の手当てを受けたあと、一か所に集められた女生と子どもたち
(6月21日 具志頭村)

収容所に向かう恩納村仲泊の住民(4月8日)

あわただしく前線へ駆ける米兵を尻目に、疲れ果ててしゃがみこんでいる老人。
後方にはレーションの空き缶がー(那覇)。


4月1日、米軍が本島に上陸した日に保護された二人の老人。よれよれのフェルト帽にターバン風の老人は、自分たちの今後の運命をはかりかねてー。

米軍が上陸した当日に早々と保護された住民たち。早くも戦後が始まる(4月1日)。

戦場の一隅に集められ不安な表情の住民たち(4月)

自分の家から家財道具をいっぱい持って軍の収容所に戻ってきた女性たち(4月26日 本島中部)

持てるだけの荷物を持って、軍の指定する収容所に向かう人びと(6月20日)

家財道具を持ち、米軍の指定する場所に向かう伊江島の住民たち。

救出されたものの不安気な人びと(伊江島)。

米兵は、老人たちにとって、生まれて初めて出会う異国人であったに違いない。
初め、ひれ伏し、そして水にありついた老人(4月1日)。

救出された女性。恐る恐るレーションに箸をつける。
右側の空き缶は、2人を安心させるために米兵が先に食べたもの。

傷の手当てを受けるため、各地から連れて来られた女性や子供たち(4月10日)

収容される住民たち。
先に収容された女性が後から来た知人に再会の合図をしている、が…(4月3日)。

保護された老人たち(4月1日)。

米軍監視下の収容所で三々五々にくつろぐ住民たち(6月15日)。

キビ畑の中から老婆を脇に抱きかかえながら出て来た住民(4月1日)。

傷つき、嘆き、悲しむ女性を介抱する米衛生班。

米軍の呼びかけに応じて、次々と出て来る住民。みんな、こわごわとした表情。
この壕には、11人の住民が避難していたという(4月4日)。

洞窟を徹底的に探索する米兵(5月)。

再び壕の中に人びとが入りこまないよう、米軍は壕の入り口を有刺鉄線でふさいだ(5月)。

米海兵隊員に洞窟から救出された老婆。壕内の生活の様子がしのばれる(5月)。

自然壕の入り口から投降を呼びかける米軍(6月9日)。

傷ついて動けない女性を皆で米軍のトラックに乗せ病院へ…(4月3日)

米兵に傷の手当てをしてもらっている孫をじっとみつめ、なだめるおばあちゃん(4月1日)。

担荷で運ばれる傷ついた住民(6月13日)。

米衛生兵と一緒に住民の傷の手当てをしている二人の沖縄女性(6月29日 玉城村百名)。

栄養失調で死んだ住民を埋葬するために、穴を掘っている人たち(6月16日)。

ガレキの中で空しく死んでいったおばあさん。

《証言》国頭山中の避難生活  玉城靖威

《証言》全身に肉片を浴びる  比嘉登美子

《解説》マラリア

第十章 集団自決と住民虐殺

《解説》集団自決と日本兵の住民虐殺

避難先から集落に戻り保護された座間味島(慶良間諸島)の住民たち。
米軍への恐怖心か、全員がこわばった表情(3月27日)

集団自決に失敗し、米軍に保護された渡嘉敷島の人びと。この傷ついて移動している住民に日本軍は機銃掃射を加えたと米軍は記している(4月1日)。

住民の集団自決か。米軍の説明では前線から逃げる途中、砲弾に倒れたとある。凄惨な写真で、目をそむけたくなるが、戦争とは、いかにむごたらしいものであるかを、この写真は語ってくれる。

《絵》

《証言》自決未遂…  中村八重子

《証言》朝鮮人軍人のこと  垣花武一

《証言》日本軍国主義と沖縄人  古堅宗一

《証言》友軍にやられたよ  仲門トキ

第十一章 収容所

《解説》収容所

にわかづくりの捕虜収容所に集められた日本軍の捕虜(6月 小禄)

投降してきた守備軍兵士は、ハダカにされて捕虜収容所へ入れられた(6月20日)

いく先はどうなることやらー。想いはさまざま。日本軍捕虜。

いったい、わたしがしてきたことは何だったのだろうか!

各地から捕虜収容所に集められた日本軍捕虜。

臨時収容所で米軍の訊問を待つ日本軍捕虜。

日本軍で捕虜になった最年長者と最年少者。
左から75歳、16歳、15歳。勝者(カメラマン)の余裕(6月20日)。

昨日の敵は今日の友、日本軍捕虜が米海兵隊員の顔のヒゲを剃っている。

6月から7月にかけて、3000人余の捕虜がハワイ捕虜収容所(一部は米本土の収容所)へ送られた。なぜか、沖縄出身の捕虜ばかりであった。彼らは翌昭和21年の暮れまで、およそ1年半をハワイの収容所で送った。

北部の離島・古宇利島の住民は、米軍の水陸両用戦車で全員本島の収容所に移送された
(6月20日)。

座間味村にできた捕虜収容所の全景。作業に出ているのか人影は見えない。(7月29日)

収容所で住民登録をする住民たち(4月16日 北部)

米軍監視下で農家に集められた住民たち。ほとんどが女生と子どもたちである
(6月3日 伊平屋島)。

《解説》捕虜収容所
知念地区/辺土名地区/大浦崎地区/瀬嵩地区/宜野座地区