第十二章 奪われた青春ー学徒隊ー

《解説》男女学徒隊

治療を受ける傷ついた学徒隊員

米海兵隊の憲兵と学徒隊員。
まだあどけなさの消えない少年のまなざしに憲兵は何を語りかけているのか。

たおれた女子学徒隊員。

捕虜になった学徒隊員と朝鮮人軍夫。

やっと地獄の戦線から生き残り、米兵の監視下で応急処置を受ける鉄血勤皇隊員と女子学徒隊員。

学徒隊員被害一覧(表)

学徒隊の戦場での任務(図説

《解説》学徒隊・思い出の学び舎ー沖縄県師範学校男子部

師範学校校舎全景。

学校正門

卒業式を終え先生と記念撮影。

予科一年乙組の生徒たち(昭和18年5月)

野田貞雄校長や恩師を囲んでの師範学校本科生たち(昭和19年)。ほとんどが戦死した。

《解説》学徒隊・思い出の学び舎ー沖縄県立第一中学校

県立第一中学校 校舎全景。

昭和18年11月壮行会。

昭和2年、県下中等学校剣道大会で優勝した県立一中の剣道部員。

昭和19年、3年生3人が特別幹部候補生として入隊(中央3人)。

脚半姿で銃器の手入れをする生徒たち。

《解説》学徒隊・思い出の学び舎ー沖縄県立第二中学校

県立第二中学の校門。

三方を琉球松に囲まれた校舎の一部(昭和10年ごろ)。

若き諸君よ!!諸君の任務は重い…。生徒を前に訓辞する配属将校。

名物の分列行進。

《解説》学徒隊・思い出の学び舎ー沖縄県立第三中学校

自転車に乗って家路へと急ぐ(左側が正門)

校門前に勢ぞろいした11期生(昭和15年)

銃を持つ若き戦死ー。軍事教練は徹底して行なわれた。

県立第三中学 校旗

沖縄県下の中等学校陸上競技大会で優勝を遂げた陸上部。(昭和14年ごろ)。

《解説》学徒隊・思い出の学び舎ー沖縄県立農林学校

旭光映ゆる緑の校庭と県立農林学校(昭和17年ごろ)。

製糖実習。さとうきびをしぼって黒糖をつくる。

日本軍に寄宿舎を明け渡して…。3年生と室長の一同に安田隊の兵隊も加わる
(昭和19年6月 講堂前)

校門前の木麻黄並木。

《解説》学徒隊・思い出の学び舎ー沖縄県立水産学校

校舎全景。

実習を終えてー。

大海原に向かい大志を抱く生徒たち。

天測の実況。

柔道部員。

銃器がズラリ…。ほとんどの学校にこのような兵器庫は設けられていた。

《解説》学徒隊・思い出の学び舎ー沖縄県立工業学校

県立工業徒弟学校全景(明治35年創設)

県立工業学校の玄関。

鉄血勤皇隊に入隊する生徒(正門)

《解説》学徒隊・思い出の学び舎ー私立開南中学校

学園の整地作業をする生徒たち。

図南寮第六室の生徒たち。

講堂開きのときの職員記念撮影。

《解説》学徒隊・思い出の学び舎ー那覇市立商業学校

若狭町にあった那覇区立那覇商業学校(現在の那覇中学校の敷地)。大正11年以前の写真。
後に那覇市立商業学校と改称。

昭和4年ごろの那覇市立商業学校校門。

戦後の流木校門、丸太が二本立っているだけ(昭和28年ごろ)。

ソロバンの授業を終えて(36期生)

軍事教練を終えた36期生の記念撮影。

授業の合い間のひととき(昭和18年ごろ)

《解説》学徒隊・思い出の学び舎ー沖縄県立第一高等女学校 沖縄県立師範学校女子部

県立第一高女正門。大正4年に沖縄師範女子部も併置されたため、二本の門標となっている。

のどかなたたずまいー、さとうきび畑に囲まれた校舎全景。

この笑顔、ついに帰らず!!奥里将貞先生と…。

学生服がモンペに変わり、陣地構築や食糧増産に励む女生徒たち。

救助活動や防火訓練の前に訓辞を受ける生徒たち。

《解説》学徒隊・思い出の学び舎ー沖縄県立第二高等女学校

本館と北校舎。

校門より奉安殿を望む。

長刀道に精進する乙女たち。

婦道修練会に参加してー。楽しい夕食後の座談会。

しとやかにお作法の実習。

理科の実験をするクラスメートと先生。

《解説》学徒隊・思い出の学び舎ー沖縄県立第三高等女学校

校門から校舎を望む。
現在、跡地には名護の北部会館が建っており、その面影を偲ぶことができる。

構内整備や運動場拡張、校門改修などは、もっぱら女生徒たちの手でやりぬいた。校訓には「清く、賢く、健やかに働け」とあり、放課後は毎日作業に駆り出され、手足のつめに赤土の色がしみつくほどであった。

庭球部員。

ペダル踏む足も軽やかに…。ありし日の乙女たちの登校風景。

ブルーマー姿で女子青年体操をやる全校生徒。

《解説》学徒隊・思い出の学び舎ー沖縄県立首里高等女学校

古風で静かなふん囲気の中で勉学に励んだ、首里城内母校。

沖縄県立工芸学校(首里桃原町)。
前進は首里区立女子実業補習学校で明治30年の創立(昭和9年撮影)。
昭和18年県立首里高等女学校と改称。

朝の体操。

首里城内の女子工芸学校校舎(明治41年ごろ)

《解説》学徒隊・思い出の学び舎ー財団法人積徳高等女学校

赤瓦校舎。1930年に和裁・家政などを教える私塾として開設された。

校舎を背に、師弟そろってラジオ体操。

嘉数ハンタで、級友らと共に憩いのひと時。

練成行軍。夜を徹して行なわれた。

《解説》学徒隊・思い出の学び舎ー私立沖縄昭和高等女学校

校舎全景。八巻太一校長によって崇元寺に設立された。

食糧増産のため、農作業に精を出す。

奥武山公園で行なわれた県陸上大会に出場す。

学徒隊学校別戦死者名簿

《証言》水産学校鉄血勤皇隊  瀬底正賢

《証言》第三外科壕から生還  城間素子

第十三章 わが町・わが村ー1945年ー

 那覇

那覇市上空から奥武山方面を望む。戦線が南部に移った6月の那覇市街である。

焦土と化した那覇市街。天妃国民学校と上之山国民学校、那覇教会の建物を残すのみ(6月)。

ガレキの街・那覇(5月)。

先原崎灯台。

南明治橋も橋脚だけになってしまった(6月)。

破壊された沖縄電気会社(久茂地)。

破壊された通堂町一帯の建物。砲爆撃のすさまじさを語る(6月)。

上之山国民学校の周囲(6月18日)。

上之山国民学校の破壊された窓から波之上方面を見る(6月19日)。

戦車でじゅうりんされる泊の民家。左手に泊国民学校の校舎が見える(5月13日)。

天久から見た那覇。左の街が泊。中央に爆破された泊橋。
泊港に山原船が見え、その向こうに若狭町がひろがる。

廃虚となった新天地。映画・演劇で賑わった殿堂も無惨な姿。

首里から那覇を見る(5月)。

天妃町、上之蔵町、東町一帯。中央に上之山国民学校、右へ久米大通り、左へ上之蔵通り。久米大通りに天妃国民学校、上之蔵通り中央に新天地のコンクリート建物が残っている。

那覇市街。

燃え上がる安謝のブタノール工場(5月)。

安謝から天久、那覇を望む(5月)。

安謝橋周辺(6月)。

6月24日の那覇港風景。


首里

ガレキと化した首里城周辺。中央が弁財天堂あと、天女橋が残る。その右前方が師範学校のあった所、左の池は、龍潭池(6月8日)

あとかたもなくなった首里城内(5月29日)

くずれ落ちた首里城の城壁(6月18日)

破壊された首里城。右の門は継世門(6月)

酒造所であろうか、傷ついた煙突が残る(6月18日)


南部

豊見城城の城門。遠くに漫湖、ガーナ森がかすんでいる(6月)。

与那原(5月24日)。

与那原(6月27日)。

県鉄与那原駅(5月24日)。

糸満 白銀堂(6月13日)。

豊見城から南部一帯を望む。

手前は阿嘉島、前方は慶留間島(3月28日 慶良間諸島)

座間味島にあった米第77歩兵連隊の墓地(7月10日)


中部

4月10日から10月15日までホッジ少将の米第14師団の司令部が置かれていた中城城趾。

石川に置かれた米軍政本部の幕舎(6月27日)

具志川の平良川の高江洲歯科医院は米軍の指揮所に早がわり(4月7日)。

読谷村楚辺集落。松並木も根こそぎ切り倒された(4月1日)。

読谷村の波平集落(4月)。

着々と道路工事が進む読谷村長浜(4月25日)。

読谷村大湾集落(4月1日)。

整備される嘉手納飛行場(5月28日)。

嘉手納飛行場内に、民家の井戸が…。

車輌置き場になっている普天間。

県鉄大山駅ホーム。もう軽便は走らない(4月)。

運玉森と与原(与那原)一帯。

西原町幸地から小波津、与那城を望む。


北部

辺戸集落(5月6日)。

本部飛行場。オーストラリアからやってきた空軍部隊の飛行機が並んでいる。

金武の観音堂(7月6日)。

整備される本部飛行場。

金武の大川風景(4月26日)。

星条旗がはためく伊江島タッチュー頂上と伊江島風景(5月4日)

年 表 1941(昭和16)年〜1945(昭和20)年

開戦を伝える新聞(昭和16年12月9日)

日本軍の奇襲を受け燃えあがる米軍機(昭和16年12月8日 ハワイ)。

マレー沖海戦の模様を伝える新聞(昭和16年12月11日)

日本軍の香港占領を報ずる新聞(昭和16年12月26日)。

軍国主義教育の支柱であった教育勅語。
明治32年に発布され、天皇制絶対主義体制を精神的に国民に浸透させた。

毎月8日の早朝に行なわれたという戦勝祈願祭(金武国民学校)。

山本五十六連合艦隊司令長官の戦死を報ずる新聞(昭和18年5月22日)。

沖縄にあった日本軍の飛行場(図説)。

テヘランで会談する米英ソ首脳。左からスターリン、ルーズベルト、チャーチル。

渡辺正夫中将

北川潔水少将

特殊奇襲兵器(図)

ニューギニアのウェーク島に上陸する米軍(昭和19年5月18日)。

サイパン島に上陸する米軍(昭和19年6月17日)。

救出され、病院に収容された日本人の子どもたち(昭和19年7月 サイパン)。

サイパンの日本軍玉砕を報ずる新聞(昭和19年7月19日)。

昭和19年11月ごろの第32軍隷下、指揮下各兵団長、独立部隊長、幕僚及び幹部。

牛島司令官の訓示

大日本国防婦人会の服装

臨時召集令状。

島田叡県知事

第32軍の戦闘指針

硫黄島の日本軍玉砕を告げる新聞(昭和20年3月22日)

大平洋戦争での各地域別戦没者(図)

大和の最期(図説)

沖縄本島に艦砲射撃が始まった。

鈴木首相の現地軍将兵・官民への放送

米軍の火焔放射攻撃を受ける日本軍陣地(5月)

大田司令官の電文

牛島司令官より参謀次長・第10方面軍にあてた訣別電

米軍は6月22日、沖縄が公式に米国の占領下に置かれたことを声明、国旗掲揚式を行なった。

世界で最初に原子爆弾の洗礼を受けた広島。

8月9日、長崎に原子爆弾が落とされた。

降伏文書

資 料

布告・宣言・詔勅

沖縄守備日本軍主要部隊一覧

沖縄戦に於ける住民の被害

沖縄戦を知るためにー沖縄戦関連書籍一覧

県内各市町村にある慰霊塔