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ぬーがらティーチャー
「昔は、島にはふくらし粉とかなかったけど、
粉と卵と砂糖だけでりっぱぐわぁ膨らまして作りよったよー」
とふくらし粉を入れて『りっぱぐわぁー』に膨らんだ祖母特製のサーターアンダギーを食べていると、
祖母が自慢げに言いました。
「昔は卵もちょっとで牛乳もふくらし粉も無いのにおいしくできよったねぇ。
お米は家族が食べる分は作ってあったけど、おかずが無かったから三食のうちの一食はてんぷらとか作ってたさー。
いもてんぷらとか甘いからみんなおいしいってよく食べよったし。
メリケン粉は豚にあげる程たくさんあったからね〜」
確かに祖母は粉料理が上手です。
サーターアンダギー、沖縄風の衣のぶ厚いてんぷら、衣だけのてんぷら、ホットケーキ、蒸しパン、etc…
でも、何で小麦粉はいっぱいあったの?それも離島に。
「ぬーがらティーチャーが大きな袋に入れてたくさん持ってきてくれたさぁ。
でも、昔のは置いておくと虫がわきよったから、そうするとイモと煮て豚のえさにしたわけさぁ」
ぬーがらティーチャー?誰?
「ぬーがらティーチャー先生さぁ。アメリカーさぁ。
その時おじいちゃんが区長だったから、家に毛布とか洋服とか油とかたくさん持ってきてくれて、
とくにメリケンはいっぱいくれたさー。そしてみんなに配給するわけさー。油も上等油くれたよー」
「おばあちゃんの作るてんぷらも食べよったよ。仲良しだったから、 ぬーがらティーチャーと奥さんと子どもと3人で来て写真も撮って、
それもらったけど、だー、次の区長さんにあげたさぁ」
「毛布とか買えないから、ケッチャム先生がくれたのをずっと使ってたよ。
おっきい毛布で3人一緒に眠れたよ」
「ぬーがらティーチャー、ぬーがらティーチャー」と祖母は言った。
「おばあちゃんが、畑に行っていたら、
『クチョーさんが風邪をひいて家で寝ていますよ』と教えに来てくれたこともあったさー。
優しくて、いい人だったよ。背ぇも大きくて」
ぬーがらティーチャーとしゃべったの?おばあちゃん英語しゃべれないのに。
「日本語でさぁ。喋るのは上手じゃなかったけど、こっちが言っているのは、たいがいわかりよったねぇ」
「クリスマスは大変だったよー。たくさんお菓子とかおもちゃ持って来て、子供たちにあげよったさぁ」
終戦直後の、何も無い島に毎月のように自前の船で来て
食べ物や毛布、服などの生活必需品を届けてくれたぬーがらティーチャー。
毛布も買えない貧しい島の子供達のために
クリスマスにはおもちゃとお菓子をもって来てくれたぬーがらティーチャー。
日本語の堪能なぬーがらティーチャー。
…って誰?
ぬーがらティーチャーから車の模型をもらった当時の男の子が
「宣教師だよ、糸満の教会から来てたはず。
始めは定期船に乗ってきていたけど、お金を集めて船を買って、後からは自分で来てたよ。
たまに来るのでは無く、定期的に自分で集めた食糧や衣料品を配ってた。
何年間かクリスマスには学校におもちゃとお菓子もって来てたよ」と教えてくれました。
インターネットで検索したら見つかりました。ぬーがらティーチャー。
フォースクエア福音教団にクリストン・ぬーがらティーチャーという宣教師の方が実在しました。
1954年に一家で沖縄に移り住んだ。
糸満を拠点に、離島伝道、路傍伝道、療養所伝道、刑務所伝道を
米国統治下の沖縄で行なった方だそうです。
(2003/12/26)
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